フィクションの暴力を楽しむために
『ババヤガの夜』は、女性を主人公に激しいアクションを描きたいという思いから生まれた小説です。私はアクション映画が好きで、古今東西の作品を数多く観てきました。映画のような迫力を文章で表現できないかとアイデアを温めていましたが、筆が遅いせいか、なかなか形にならなくて。
そんな折、文芸誌の《シスターフッド(女性の連帯)》特集への執筆を依頼され、「書くなら今しかない」と編集者にはっぱをかけられて、なんとか書き上げることができました。
主人公の新道依子は、喧嘩がとてつもなく強く、暴力に身を浸すことに生きがいを感じている女性です。そんな彼女が、暴力団会長のひとり娘・内樹尚子のボディガードを命じられたことをきっかけに、2人で裏社会の闇や困難に立ち向かっていく姿を描きました。
小説の登場人物像は、体格や体の可動域などフィジカルな面から考えることが多いように思います。体は大きいのか小さいのか、筋肉質なのか華奢なのか、たくさん食べるのか少食なのか――など、体のありようによって、物の見え方や動きは変わりますから。
駅で階段を駆け上がる人もいれば、必ずエレベーターに乗る人もいるように、思考や行動は体に基づいている。『ババヤガの夜』も、そうした違う体を持つ人たちが一緒に行動することで、相互にどのような影響を及ぼすのかを考えながら書きました。
裏社会を舞台にした小説ですから、苛烈な暴力シーンもたくさん出てきます。臨場感やスピード感、迫真性が文字から伝わるように、誰がどこにいて、どう立ち回るのかなど、絵コンテを描いてから文字に落とし込んでいきました。
ただ、私が娯楽としてバイオレンスを愛好し、ある種のフェティシズム(性的嗜好)を感じることは悪趣味だと自覚していますし、暴力を描くことへの後ろめたさも感じています。だからこそ、社会規範から逸脱したもの、不道徳なものを書く時ほど、軸にしっかりとした倫理観がなければならない。そのことは忘れないよう、常に心がけています。
授賞式のスピーチで、「リアルの暴力があふれている世界では、フィクションの暴力は生きていけません」と述べました。戦争や紛争が起き、目の前で人が死ぬような事態になれば、殺人事件を描いた小説を無気に読むことはできません。フィクションの暴力を楽しむには、世の中が平和でなければならない。そんな思いをお話しさせていただきました。