農業の大変さと楽しさ
母が突然トマトの種を買った。苗ではなく種だ。種から育てたことなんかないのに、なんで?
実家の畑に蒔いた残りを持たされたので、夫に頼んで、わが家の小さな畑にも蒔いてもらった。一体どうなるのか不安だったが、まずまず順調だ。
現在、わが家の苗は4本、すくすく育っている。順調すぎて、このままだとトマト長者になってしまうかもしれない。食べ切ることができるだろうか。まあ、冷凍しても、近所におすそ分けしてもいい。何とかなるだろう。
それにしても野菜を育てるって、思いどおりにはならないものだ。昨年の12月初旬、毎年育てているキヌサヤの種を蒔いたが、ちっとも芽が出てこない。あるだけ全部蒔いたので、これは大豊作だ、とほくそえんでいたのに。何とかよろよろと芽が出て、ホッと胸をなで下ろしていたら、今度は何かに食べられてしまった跡が。鳥? それでもキヌサヤは驚異的な頑張りを見せ、再度よろよろと成長し、それなりの収穫はできた。
思うとおりに育たなかった原因を考える。種が昨年の残りだったからだろうか。でも、今まで2年前にできた種だって、今まではちゃんと育っていたし。となると、土づくりか。石灰も撒かず、肥料も相当古いものを使っていた。これか。反省を活かして植えたシシトウは、今のところ順調に育っている。
わが家のような家庭菜園に毛が生えた程度でも、雑草をむしって、耕して、適量の肥料をやり、支柱を立ててと、やることは尽きない。体力ばかりでなく頭脳も、胆力だって必要になる。
今年の猛暑で全国的に不調となっている米づくりともなれば、その大変さは計り知れない。重く足をとられる田んぼの中での作業は過酷だ。実家にも(大変小規模ながら)田んぼがあるが、もう10年以上、休耕田のまま。父は大変さゆえに腰を痛め、米をつくるのを断念したのだ。
この田んぼにもう一度銀シャリを実らせるには、膨大なエネルギーが必要になる。私には草を刈るくらいしかできないだろう。どうにもならないことが悲しい。
と考えたが、草刈りは嫌いじゃないと思い直す。運動でもするつもりで作業に精を出してみるか。まずは手始めに、実家の畑にトマトを植えてこよう。来年にはたくさんの赤い実の中で、嬉しい悲鳴を上げていられますように。