群衆がひしめく1階立ち見席を選んだ理由
それだけの人が入場した競馬場は大混乱だった。新スタンドの一部は前年の秋に完成していたが、まだ不慣れなファンも多く、どこになにがあるのかわからない。
可能収容人員は16万5000人ということだったが、機能よりもデザインが優先されるのもバブル期の建造物の特徴で、競馬ファンの流れを無視したようにつくられた細長い(ひとりしか乗れない)エスカレーターも混乱に拍車をかけていた。“おとなの迷子”も続出するほどで、自由席の客はパドックを見てから馬券を買うなど悠長なことは言ってられない。
それほどだったから、『優駿』では翌年の皐月賞前には「中山競馬場新スタンドの歩き方」なる記事まで掲載している。
1階の立ち見席には有馬記念の何レースも前から群衆がひしめいていた。その寒さを感じる隙もないほどの人で埋まっていたなかにわたしとライターの友人もいた。馬券は早めに前売りで買っていたが、ふたりともオグリキャップ絡みの馬券は100円も買っていない。
わたしは、逃げるオサイチジョージと、クラシックでもずっと馬券を買っていたホワイトストーンは入れていたと思うが、ほかはなにを買ったのか覚えていない。わたしたちは有馬記念の何レースも前からスタンドに立ち、隙を見つけてはできるだけ柵に近づこうとするのだが、まったく前には行けず、背伸びしながらターフビジョン(場内にある大型映像ディスプレイ)を眺めるしかできなかった。
ほんとうはメディア席でパドックを見て、関係者がいるエリアでレースを見れば楽だし、取材者としてはそうすべきなのだろう。
しかし、まだ若いわたしたちはゴンドラから見下ろしている記者とは違うんだと尖っていたこともあるのだが、どうしてもきょうは1階立ち見席で見ないといけないというのがふたりの一致した考えだった。高橋源一郎ふうに書けば「オグリキャップへの敬意」であり、高橋とおなじように最後に「オグリ!」と叫ぶためである。
いや、もう時効だから正直に書こう。ほんとうは、オグリキャップは勝てないと思っていたわたしたちは、オグリコールがおきるとすれば本馬場入場のときしかないと思っていた。そして、コールがおきなければ、おれたちがおこそうという、不謹慎なことも考えていた。そのために入場してくる馬をすこしでも近くで見られる場所に陣取っていたのだ。