笠松の天才騎手

8月30日、オグリキャップは笠松の重要な2歳戦、秋風ジュニアに出走する。

ここまで5戦すべて800メートルだったが、今回は1400メートルに延びる。そしてここで、笠松のリーディングジョッキー、安藤勝己が騎乗することになった。鷲見廐舎の高橋は地方競馬全国協会の騎手研修で栃木県塩原町(現那須塩原市)にある地方競馬教養センターに行っていて、初戦と3戦めに乗っている青木は落馬負傷の影響で乗れず、鷲見は安藤に騎乗を依頼したのだった。

『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』(著:江面弘也/講談社)

このとき安藤は騎手になって12年めの27歳だった。デビューは16歳の1976年10月で、2年めに笠松の騎手成績で2位になると、3年めからは9年連続で笠松のリーディングジョッキーに輝き、この年も首位を独走していた。兄の安藤光彰も笠松で騎手をしていて、ファンは兄弟を「アンミツ」「アンカツ」の愛称で呼んでいた。

わたしがはじめて安藤勝己に会ったのも『TURF HERO'88』の取材で、フェートノーザンが全日本サラブレッドカップに勝ったあとだった。同世代(早生まれの安藤が学年では1学年上)だが、相当やんちゃな印象も受けた。その取材のときに安藤のレースも何度か見たが、自由自在というか、やりたい放題というか、ひとり別次元で乗っている感じだった。

いま、当日の記録を確認すると、11レース中5レースに乗っていて、全日本サラブレッドカップと準メインの東海クラウンを含めて3勝、すべて1番人気で、3着、5着に負けた馬は2、3番人気だった。

安藤に依頼するには調教師もそれなりの馬を用意しているのだろう。そういう意味でも、騎乗のきっかけは偶然ではあったが、安藤がオグリキャップの手綱を取るのは自然の流れだったのかもしれない。