(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
「芦毛の怪物」と呼ばれ、多くの人に愛された名馬・オグリキャップ。今回は、オグリキャップとその関係者達を現役当時から取材してきたノンフィクションライター・江面弘也さんの著書『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』から一部を抜粋し、その思い出を振り返ります。

オグリキャップのデビュー戦

笠松競馬場にはいって4か月近くしっかりとトレーニングされたオグリキャップは1987年5月19日にデビュー戦を迎えた。

新馬戦は800メートル。笠松競馬場は右回りの1周1100メートルで、800メートルは2コーナーをまわったところからスタートする。直線は短く、4コーナーからゴールまで201メートルしかない。青木達彦という若手騎手が乗ったオグリキャップは2番人気で、最後の直線で追い込んできたが1番人気のマーチトウショウに首差届かなかった。

勝ったマーチトウショウはオグリキャップとおなじ芦毛で、父のプレストウコウは日本ではじめて芦毛のクラシック馬(菊花賞)となった馬である。「トウショウ」と付いているが、馬主はトウショウボーイの藤正牧場(藤田正明)とは関係はない。安藤勝という馬主で、「藤勝」を「トウショウ」と読ませたのだろう。

2戦めは2週間後の6月2日で、おなじ800メートル。鷲見廐舎の加藤一成が乗って、2着に4馬身差をつけて勝った。さらに3戦めは青木に戻って6馬身差で勝ったが、加藤に替わった4戦めは首差でマーチトウショウの2着に負けている。そして加藤がつづけて乗った5戦めでもマーチトウショウと顔を合わせたが、今度は2馬身半差をつけて完勝している。負けたときは橈骨の炎症も見られたという。