オグリキャップの体調は確実に上向いていた
前日、JRAは年間の総売り上げがはじめて3兆円を超えたと発表した。その競馬人気の立役者がオグリキャップだった。しかしこの秋は苦悩のなかにいた。キャリアではじめて経験する3連敗と2度の大敗に「さすがのオグリも終わった」という声が大勢を占めるようになっていた。
このまま引退したほうが馬のためだという意見もあったが、馬主の近藤俊典は有馬記念出走を決めた。調教師の瀬戸口勉は言う。
「そんなだから、『有馬にだすな』って夜中に酔っぱらいから電話がかかってきたこともあったよ。近藤さんには何回も脅迫があったらしい。それは、オグリがかわいそうだということで、それだけファンがオグリのことを心配してくれていたんだと思う」
その一方で、瀬戸口は復調の手応えも感じていた。普通、強い競走馬でも心拍数は1分間に30回をきるぐらいだが、オグリキャップは22から23回とすくなかった。それが故障で休んでいる間に普通の馬と同程度に増えていたのだが、徐々に調子のいいときの心臓に戻ってきていたというのだ。
「休みあけの天皇賞は急仕上げで、そのあとは筋肉とかに疲れもあった。心拍数も普通の馬とおなじくらいで、まだスポーツ心臓になっていないわけよ。それが2回使って、心臓も前のオグリの状態に戻ってきた感じだった。調教でもけっこう走っていたので、期待はしていたよ」
秋の2戦は増沢末夫が乗ったが、有馬記念は武豊に依頼することになった。安田記念で勝ったときのイメージで乗ってもらえればと思った、と瀬戸口は言う。
「豊では負けてないから、自然と決まった感じ。こっちとしては最善を尽くして、それで負けたらしょうがない。増沢さんには悪いときに乗ってもらって気の毒だった」
有馬記念の最終追い切りには武が騎乗し、美浦トレセンの芝コースを使っておこなわれた。武が「マスコミが多くて緊張した」と言うほどの騒ぎのなかでの追い切りだったが、オグリキャップの体調は確実に上向いていた。心臓もよくなり、疲れもとれていた。それでもまだ100パーセントではないし、2度の惨敗で瀬戸口も自信を失っていた。
「だけど、ひょっとしたらひょっとする、と思っていた。人を引っ張って歩く、調子がいいときの兆候もでてきたからね」