午前中から異様な雰囲気だった
1990年12月23日。中山競馬場は午前中から異常事態となっていた。新装なったスタンドにはすでに人があふれ、1階自由席は押し合いながら動く人々が黒い波になっている。
「あの日はもう、午前中から異様な雰囲気でしたね」
騎手の武豊は当時を振り返って言った。話をきいたのは、あの有馬記念から16年が過ぎようとする2016年の秋だった。
「前の日、京都で乗っていたんですが、移動する駅とかにはカメラマンやファンがすごかった。夜、中山に着いたときには、徹夜で並んでいた人の列が200メートルぐらいできていましたからね」
武がオグリキャップに乗るのは安田記念以来2度めだが、今回は天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ11着と信じられないような敗戦を重ねていた。
「オグリらしくないな、とは思って見ていました。あんなに走らないのはよほどのことだと。癖のあるむずかしい馬ではないので、原因は絶対に体調だと思っていました」
そのとき有馬記念のオファーがある。主戦を務めていたスーパークリークが故障して引退し、有馬記念は父(武邦彦)の廐舎のオースミシャダイを予定していたが、父は「オグリに乗れ」と言ってくれた。
「また乗せてもらえるんですか! という感じで、すごくうれしかった。実際に勝ち負けになるかというと、あのときはホワイトストーンとかメジロライアン、メジロアルダンがいましたからね。勝つとなると微妙なところはありましたし、追い切りに乗ってみても安田記念のような感じではなかった。それでも大役を任されたというのを感じていました。ラストランですから、たとえだめでも、オグリキャップらしいレースを絶対させなきゃいけないなと思いました」
それでも武は「ひょっとしたら」という気持ちだけはもっていた。理由は明快だ。乗るのがオグリキャップだからだ。