ラストランを見守る人々
種牡馬としてオグリキャップを迎える新冠町の生産者たちは不安のなかで有馬記念の日を迎えていた。株式会社優駿の社長・村田繁實(「繁」は正しくは旧字体)(村田牧場)が何度も名古屋に足を運び、馬主の佐橋五十雄と交渉をつづけて契約を結び、ようやく組めた大型シンジケートなのだ。また負けるようなら種牡馬としての評価が下がってしまう。村田はそのときの心境を吐露する。
「あのときはだいぶ落ち込んでましたよ。オーナーの近藤さんに『もう使わなくていいから』ってお願いしたんだけど、きいてもらえずに有馬記念だったから」
中山競馬場には優駿を代表して高瀬良樹(高瀬牧場)と荒木正博(アラキファーム)、女性職員の3名が応援にやってきた。高瀬らは入場するとすぐに競馬場事務所で許可証をもらい、パドックに横断幕を張ろうとした。ところがすでにファンが場所取りをしていた。高瀬は笑いながら言う。
「それで喧嘩しちゃった。順番がどうのこうの言うから、『うるせー、おれらは北海道からわざわざ来たんだ』って」
しかし、喧嘩した相手もオグリキャップのファンということで、なんとか託された幕を張ることができた。
「90年のスターの座に輝け! オグリキャップ号」
高瀬らが張った横断幕にはそう書かれてあった。この日、パドックには48枚の横断幕が張られていた。そのうち20枚がオグリキャップを応援する幕だった。
三石町の稲葉牧場では生産者の稲葉裕治と父の不奈男がテレビを見つめていた。裕治が競馬場に行くとオグリキャップが負けるジンクスがあった。これまで5回行って全敗なのだ。それでも引退レースだけは行く予定でいたのだが、スポーツ紙の評価の低さを見て、自分が行けばまた負けるだろうと思い、飛行機もホテルもキャンセルしてしまった。
妻の千恵は出産のために兵庫県の実家に帰っていた。それまで競馬とはまったく無縁だった千恵は、たまたま見たテレビでオグリキャップを知ってファンになり、母親のホワイトナルビーを見学しに稲葉牧場に行ったことがきっかけとなって裕治と結婚したのだ。千恵は実家で運命の馬のラストランを見守っていた。