たとえば岸谷五朗さんの回では、テレビドラマ『八日目の蝉』について訊くと、

「小豆島の撮影で何日かご一緒しました。撮影のない日は、一人で町を歩いてました。集まった時、入り口に、片方が赤、もう片方はグリーンの靴が脱いであり、面白い人だと思いました。本人に確かめてないので間違いかもしれません。私は共演者とあまり私語を交わさないので、親しくはなれません」

記事の感想も毎回送ってくれた。

「婦人公論来るたびに、元気だなと安心しています。奈良岡さんをありありと思い出しました。岡本健一さんは、魅力的ですね」

「『ラヴ・レターズ』は私もやりましたよ。藤田敏八さんと。渋いですね。でも、よかったです。不思議なつくりで、確かに泣きたくなるんです。私は泣かないけど、終わって、しばらく抱き合ってました」

「(中村)獅童さんのインタヴュー、とても良かったです。あなたに心を開いているせいでしょう。人間味が伝わりました 私は部屋の中だけの人生となりました」

何だか悲しくなったので、楽しかった台湾旅行のスナップを何枚かLINEで送ってみた。

和子さんからのその返事。

「元気いっぱいの私たち。時間は残酷です」

とあって、鶏と、目覚まし時計と、泣き顔と、三つの絵文字が添えられていた。

私はすぐに励ましのLINEを送ったけれど、既読にならず、これが和子さんとの別れになった。

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