中野清茂とお美代の方

中野清茂は、500石の旗本でした。通称、定之助。才知にあふれ、風流に通じていたとされます。

御小納戸頭取、新番頭格を勤め、徳川家斉の側近中の側近でした。また、家斉の愛妾・お美代の方(専行院)の養父でもありました。

諸大名や幕臣、商人から莫大な賄賂を受け取り、「清茂の推薦を取り付ければ、願いごとは叶ったも同然」といわれ、駿河台、本所向島に豪華な屋敷を構えていました。

お美代の方は、下総中山の智泉院の住職、日啓の娘といいます。清茂の屋敷へ奉公に上がり、のちに清茂の養女として大奥へ入りました。