2024年、『グッナイ・ナタリー・クローバー』で小説すばる新人賞を受賞しデビューした須藤アンナさん。受賞後第一作となる書き下ろし作品『超 すしってる』が、12月8日に刊行されました。「東大に落ちた女子高生は、親友たちとともに『西東京すし養成大学』で『すし』になるための授業を受け――」という、パンチの効いた導入からはじまる本作。どのような思いが込められているのでしょうか。ご執筆に至るまでの道程や、作中でも言及される名作アニメ『輪るピングドラム』の影響について、須藤さんご自身に綴っていただきました
学生時代、私は鏡に映る荒んだ顔の小娘に向かって、よく問いかけていた。
「私が本当に、何者にでもなれた日々はいつなのだろう」
それは大学受験で合否が判明するまでの曖昧なモラトリアム期だったかもしれないし、器械体操教室で宙返りをしていた自由奔放な小学生時代だったかもしれないし、生まれた瞬間には既に、大抵の可能性が息絶えていた気もする。
新しい情報は毎日押し寄せ、世界は日々、宇宙のように膨張している。だというのに私の人生は、他ならぬ私自身の選択によって、狭まっていく一方だ。今日の私が昨日の期待を裏切って、何もできなかった日々は賽の河原の石積みみたく、空しく重なっては崩れるのを繰り返す。
そんな人生の中で、何度も何度も、繰り返し聞こえてくる言葉がある。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」
これは2012年に放送された、幾原邦彦監督によるテレビアニメ作品『輪るピングドラム』にて繰り返し登場する、非常に象徴的なセリフだ。
この物語は、双子の兄弟が謎のペンギン帽から「余命僅かな妹の命を救いたくば、ピングドラムを手に入れろ」と不思議な使命を課されるところから始まる。兄弟たちは、「ピングドラム」なるものの正体もわからぬまま、それを探し求め、やがて彼らの生まれの呪いや、逃れがたい運命に直面していく。一見ファンタジックでシュールな世界観の中、描かれる痛みは息苦しいほど鮮やかで、けれど残酷さの中に、かけがえのない愛がある、そんな素敵な作品だ。