拙作『超 すしってる』は、学生時代の馬鹿げた承認欲求への、大人になった今だからこそようやく出せた、もっと馬鹿げたアンサーだ。
どうかしている世の中に、どうかしている物語を撃ち込んで、誰かの憂鬱にヒビが入ればいいと思う。馬鹿馬鹿しさに呆れかえって、少しでも前向きになってもらえたら本望だ。
望んだ学歴も、能力も、人間関係も、全て手に入った“完全無欠の成功者”なんて妄想の産物でしかない何者かに、私はなれなかった。その代わり、『超 すしってる』とかいう妙なタイトルの妙な話を書き、かつて画面越しに問いかけをくれた幾原監督から、畏れ多くも推薦コメントを頂けた。ほとんどは私の努力や能力の産物ではなく、関わってくださった方々の善意によって成立したものだ。私自身は偉くも凄くもない。
ただ、何者かを目指してみっともなく足掻き続けなければ、この景色は臨めなかった。そのことだけは、少しだけ自分を労ってやれる。
「きっと何者にもなれない」この言葉は今でも、私のポケットの中にある。ときおり表面に触れたり、尖った輪郭をなぞったりしながら、未来に思いを馳せる。
何十年も経って振り返ったら、やっぱり私は「何者にもなれない」人生なのかもしれない。未来のことなんてわからない。ただ私はいつだって望めばすぐに、何者かになろうと、ひたむきに、全力になれる。それでいいのだ。それが幸福なのだ。
だから、「何者にでもなれた日々」なんてものはなくて、今が正に、私の気分一つで「何者にでもなれる日々」なのだ。
未来の私へ、そして何者にでもなれる日々へ。今日という現実が、大切な人たち、大好きな作品のおかげで、途方もなく楽しい。豊かでデタラメな日々をさらに加速させ、ついでに私も誰かを楽しませる側になれるのだとしたら、こんなに愉快なことはないだろう。
まだまだ書きたい物語はたくさんある。SFも、不条理も、スポーツ物も、ハイ・ファンタジーも、どんなジャンルにも挑んでやろう。
ああ、十年後はもっとふざけた何者かを目指して駆けずり回っているかと思うと、心が躍って仕方ない。
『超 すしってる』(著:須藤アンナ/中央公論新社)
【作品紹介】
「すし」になりたい。さもなくば何者にもなりたくない――。 時は2020年3月。東大に落ちた女子高生・サッチャーの元に届いたのは、「西東京すし養成大学」の合格通知書。同じく「合格」した親友たちとともに「すし」になるための授業を受けるうち、水中呼吸を会得したり、掌からワサビが出るようになったり、段々と「人間離れ」をしていく。現実に背を向けて、何者にもなれないから「すし」になる。でも本当にそれでいいの? 大人と子供の間で惑う少女たちが選ぶ未来とは。青春不条理ラプソディ、爆誕!





