私が器械体操で挫折し、教室を辞めたばかりの頃、家族が偶然このアニメを観ていた。ちょうどあのセリフがテレビから聞こえてきて、ほとんど無意識に、「そうだよなぁ」と諦め混じりに笑ったのを覚えている。私は逃げ、何者かになれたかもしれない未来を一つ、自ら手放したのだ。
作品自体に受けた影響は計り知れないが、私はその中でもとりわけ、「何者にもなれない」という言葉との出会いに圧倒的な価値を感じている。
高校から大学にかけての所謂モラトリアム期は、今思い返しても不毛の極みだった。本気で打ち込んだのは物書きだけで、後は両手と例のフレーズをポケットに突っ込んで、フラフラと綿毛のように生きていた。
あの頃、私はわかりやすく成功したかった。誰とも関わりたくないし、自分と向き合いたくもないけれど、不特定多数に賞賛されたかった。臆病なくせに傲慢で、いつも未来に怯えていた。栄光を勝ち取ることで、受け入れがたい己の弱さを克服できると信じていた。
何者にもなれないまま空っぽの大人になるのが恐ろしく、下手な鉄砲数撃ちゃ当たると、小説・エッセイ・詩・俳句・その他諸々を捻りだしては撃沈するのを繰り返した。
一つ年下の藤井聡太氏は華々しい戦績をいつまでも更新し続け、大学に入った頃にはやはり一つ年下のAdo氏が、日本中にその名とタフな歌声を響かせていた。見渡せば、わかりやすく高みへ上っていく者や、サークルやらゼミやらで自ら日々を彩る楽しそうな者ばかり。ひたむきな人たちはみんな輝いて見えて、私はヘドロのような影のこれまた隅で、太陽が眩しすぎると舌打ちをした。
「きっと何者にもなれない」
何をするときも、何もしないときも、この言葉が頭を掠め、視界の隅で踊った。
焦るばかりで実りの無い日々。気づけば大学四年生になり、とりあえず就活を始めてはみたものの、大手出版社から次々に肘鉄を喰らって不貞腐れた。言い訳のように夏季留学の準備を進め、その傍ら、長編小説に着手し始めた。
社会に放り出されてしまう前に、学生生活の総決算をしてみようという、ちょっとした野心があった。「子供」という肩書を完全に失くしてしまう前に、ずっと抱いていた将来への不安や、四季のように巡っていく抗い難い変化を、淀んだ青春の卒業論文として書き残そうと思った。