一生かけて集めた物を無下にはできない
形あるものも大事ですが、私にとって一番大切なのは、庭の樹木や花です。鳥取の実家では、父がさまざまな木を植えていましたので、植物と一緒に育ったようなもの。こまごま世話をしたり眺めたりしていると、本当に心が安らぎます。
映画の撮影で地方に行くたび、その土地の木の苗や植物を持ち帰り、植えてきました。たとえば1966年に有吉佐和子さん原作の映画『紀ノ川』に出演したときは、はるばる和歌山からみかんの苗木を持ち帰りました。高さ30センチくらいの苗で植えた平安神宮のしだれ桜も、今や大木に。息子が生まれたときに植えた杏の木は、毎年たわわに実がなるんですよ。仕事を終えて自宅に戻ったら、真っ先に庭に出て植物の世話をするのが日課です。
夫からは、「花が1番で、2番が犬。人間は3番目だね」と、よく笑われましたね。この丹精込めて育てた庭の植物たちも、いつまで見ることができるか。でも、当分手放すことができないと思います。
夫は、自分が関わったすべてのことに対して、一所懸命な人でした。彼が一生かけて集めた本や仕事の足跡を無下にすることはできません。たとえどんなに時間がかかったとしても、わが家の蔵書が歴史や政治研究のうえでお役に立つなら、きっと彼も本望だと思います。
最近は、「物を持たない」ことがいいとされますが、「置き場に困ったから」「興味がなくなったから」「使い道がないから」などという理由だけで処分してしまっていいのかしら。探せば、欲しがってくれる人がいたり、資料としての価値があったり、使い道が見つかったりするかもしれない。「ぎりぎりまで努力してみよう」と考えると、まだまだ死ねませんね……。
夫の持ち物の落ち着き先を見つけ終えるまでには、しばらく時間がかかるでしょう。でも、ときどきふっと思うんです。ある日突然、夫と私の荷物をそっくり全部引き取ってくださる人が現れたら、どんなにいいか……って(笑)。そのときは、「大事にしてくださるのなら、喜んで差し上げます」とお答えしようと思います。