掌の記憶
この話をしてくれたのは、この地域で長年鍵店を営んでいる沼田さんという中年の男性だ。
沼田さんは、がっしりとした体格に人の良さそうな笑顔を浮かべる、いかにも職人といった風貌の人だった。
「あのショッピングモールの話なんですけどね」
沼田さんが指すのは、この地域でも「幽霊が出る」と専ら噂になっているショッピングモールのことだった。ホームセンターやペットショップが入った、決して大きくはないが地域住民には重宝されている施設である。ここには、買い物中にペットを一時的に預けられるサービスがあり、愛犬家や愛猫家の間では評判になっていた。
沼田さんは、そのホームセンターから仕事を請け負うことが多く、店内に作業用の道具を置かせてもらっている。そのため、モール内で何かトラブルがあると、真っ先に声が掛かるのだという。
「あそこの屋内駐車場でね、以前から妙な騒ぎが頻発していたんですよ」
沼田さんの話によると、その駐車場では「車内に赤ちゃんを閉じ込めてしまった」と泣き叫ぶ客が後を絶たなかったのだという。最初の頃は、警察官がその人を安心させるためにガラスを割って車内に入り、救出作業を行っていた。しかし実際には、赤ちゃんなど存在しない。詳しく話を聞くと、その子供は祖父母や配偶者に預けているのが常だった。
「要するに、お客さんは錯乱してるんですね。でも、本人たちは本気で信じ込んでる。それが何度も何度も続くもんだから、最近は警察の方も慣れちゃって」
確かに、思い込みだとしても、ガラスを割られてしまっていては車の持ち主も大変だろう。そこで警察は、鍵のプロである沼田さんに協力を求めるようになったのだという。
「鍵を開けて中を確認して、何もいないことを本人に納得してもらう。そういう役回りになったんです」
沼田さんの口調は淡々としていたが、どこか疲れたような響きがあった。そんなことが月に数回は起こるのだから、無理もない話だった。