あのときの感触

それから数日が過ぎても、沼田さんはあのときの感触を忘れることができなかった。トランクを閉じたときに手のひらに伝わってきた、あの無数のセミの振動。思い出すたびに、今でも手のひらがむずがゆくなるのだという。

「あれは本当にセミだったんでしょうかね」

沼田さんは最後にそう言って、困ったような笑顔を浮かべた。

「密閉されたトランクに、どうしてあんなにたくさんのセミが……。これからもっとおかしなことが起こるかもしれませんね」

その言葉には、確信めいた不安が込められていた。

※本稿は、『錠前怪談』(竹書房)の一部を再編集したものです。

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錠前怪談』(著:正木信太郎/竹書房)

開けられなくなった場所や物をひらく職人、鍵師。

業界で「鍵の者」とも呼ばれる彼らが体験した不可思議で恐ろしい事件の数々を取材した怪事記。