「あそこで「オレについてこい」と言うのは簡単でした。でも、1人で生きていく力を持った人間同士が、2人協力しあって新しい生活を始めようというときに、片方が片方に「ついてこい」はないんじゃないかなあ」(『婦人公論』2001年11月7日号より 撮影=滝浦哲)

僕は今までは、インタビューなどで「結婚は?」と問われれば、「婚姻届という紙切れ1枚にこだわる必要はない」というような答えをくり返してきました。周囲がどんどん結婚していく中で、何度も何度も聞かれるものだから、苦肉の策で、ああ答えたという面も、もちろんあります。が、「紙切れにはこだわらない」ことは、ある意味では真実。今もこだわっていません。

ただ、両方の親のことを思うと、紙切れ1枚とはいえ大切なことだとも考えるようになった。結婚とは、2人がペアになることだけじゃなく、相手の親きょうだいと親戚になっていくことなんですね。僕はこの場に及ぶまでそんな簡単なことにも気づかないで来てしまったのだと思います。

彼女と両親の関係を見ていると、僕は大切に育てた大事なお嬢さんを預かったんだなと、思わされることが多い。だからこそ、結婚に当たってのいろいろなセレモニーは、両家のためにも、きちんとやる責任があると思ったし、周囲みんなに納得してもらって、新生活をスタートさせたかった。

2人の生活のあり方については、とやかく言われたことはありません。理解あるがゆえ、暖かく放っておいてくれる。そうなるとよけい、親子といえど礼は尽くそうとか、親孝行したいなと思う。人間ってそういうものですよ。

 

「愛情を持った会社勤め」を家でやってくれている

プロポーズのとき、僕は彼女への気持ちをすべて伝えた後で、「戻るなら今だよ」と彼女に選択権をゆだねました。僕はこういう世界で仕事をしているのだから、たいへんなこともあるだろう。それでもあえて飛び込んできてくれるのかどうか、自分で答えを出してほしい、そんな気持ちでした。

あそこで「オレについてこい」と言うのは簡単でした。でも、1人で生きていく力を持った人間同士が、2人協力しあって新しい生活を始めようというときに、片方が片方に「ついてこい」はないんじゃないかなあ。あのとき、きっと僕と歩く人生を選んでくれるだろういう確信に近いものはありました。それがなくちゃ言えませんよ、絶対に失いたくない人でしたから。

そうやって飛び込んできてくれたのだから、僕は何があっても彼女を守っていかなければ。変な言い方ですが、いわゆる“芸能界芸能界した”妻にはならなくていいよ、と言ってある。プライベートな僕、木本龍雄の妻をきちっとやってくれれば、あとは僕がやるからって。彼女が僕の妻だということで、注目され、生活しにくくなるという状況だけは避けたいですね。だから、「奥さんと2人で」というパーティーやセレモニーへの誘いに対しては、「うちは芸能界の人間ではありませんから」とはっきりお断りしています。

これまでも僕は、仕事とプライベートはきっちりと分けてきました。それでも僕には有名税がついてまわる。それはいたし方ないとしても、彼女を巻き込みたくはないんです。芸能界は僕が仕事で関わる世界、プライベートでは、芸能界とは違う普通の生活感で生きていきたい。平気でどこへでも買い物に出かけ、「この野菜高いからちょっと安くしてよ」と言えるような当たり前の日常生活を、彼女がずっと持ち続けられるようにしたい。

彼女も、最近になって、ことのたいへんさを感じ始めたみたいです。思わぬところで誰かに注目されていた、なんてことはどうしてもありますからね。だけど、堂々としていますよ。自分が何かを変える必要はないと思っているのでしょう。当たり前のことを当たり前にやっていく、ドーンと構えて生活していく。そういうところは度胸があります。