10代でデビューした僕は、どうしてもどこか一般常識に欠けるところがあるんです。だから、普通の感覚を持った彼女には、ずいぶん助けられています。見栄もはらないし、物欲もなくてねえ、服もあまりほしがらない。

うちの両親が小さなダイヤをあしらったアクセサリーをプレゼントしたことがあるんですが、自分の年齢で似合わないものを身に付けるのは恥ずかしいから、今はできないと。いい育ち方をしているんだろうなあ、と感じることが多いです。

堅実な性格でね、頼んだわけではありませんが、ビシッと家計簿をつけちゃう人なんで、ありがたいですよ。「互いに何にお金を使ったかは知っておきたいね、それは夫婦として大切なことだよね」と以前話したことがありますが、それを実行してくれるのは何よりです。

会社勤めをしていましたから、あまりその辺は苦じゃないみたいですね。「愛情を持った会社勤め」を家でやっている、という部分があるかもしれない。きちんとマネジメントをやり、責任を果たす、もともとそういう人なんだろうな、きっと。

 

ようやく女性と対等に話ができる大人になれた

結婚するに当たって彼女が仕事を辞めるのは、もったいないと思いました。生活の拠点が東京に移りますから、会社は辞めなければならないかもしれない。でも、何とか今までやってきたことを生かせないかなあと。留学経験のある勉強好きの努力家だし、仕事を語るときの話ぶりだけで、情熱とプライドを持って働いていることが伝わってきましたしね。

そんな彼女が、自分ができることは、僕が仕事をしやすい環境をつくることだと言ってくれた。あのときの「あなたのサポートができたら、それが一番うれしいわ」という言葉には正直グラッときました。男としては、ウソでも言ってもらいたいくらいの言葉ですよ。

掲載時の誌面(『婦人公論』2001年11月7日号)

誰にも依存せずに生きていける大人の女性が、サポートしたいと言ってくれる、ありがたいじゃないですか、もうがんばるしかない、ってなもんでしょう。おそらく利口なんですよ。彼女の言葉で奮い起つ僕は、彼女の手の中にいるのも同然なのに、それを僕にはまったく感じさせませんから。

出会ったころは、明らかに僕のほうが精神的に上にいて、彼女の目線は斜め上の僕に注がれていた気がしますが、それがだんだん同じ高さになり、気づいたら僕が見上げているということになるでしょう。女性の学習能力の高さは男には到底太刀打ちできません。男というものは、いつまでたっても子供ですからね。

2人の関係をこんなふうに見つめられるようになったのは、僕自身40代の今だからこそ、という気がします。いろいろな恋愛を含む人生経験を積んだことで、相手を理解しようとする努力の大切さを知りました。ここで感情的になったらトラブルになるな、と事前に察知しぶつかりあいを避けられるようにもなった。相変わらずわがままな子供の部分は多分にありますが、それでも、少しずつは学習してきているようです。(笑)