人々のさみしさの受け皿となる宗教の存在

人類の歴史において、人々のさみしさの受け皿となる役を担ったものに宗教の存在があります。

たとえば仏教系であれば、「仏に帰依する」「善行により徳を積む」「念仏」「唱題」といった行為により、「来世で救われる」「極楽浄土に行ける」「悟りを開く」という信仰であり、現世のさみしさの奥にある苦しみ、悲しみ、不安、恐怖といったものに対して、それに動じず、受け入れられる自分になるという教えがあるのでしょう。

本来の仏教というのは、そんないわば「ありのままの自分」になるための方法や環境づくりを、指し示してくれているのかもしれません。

脳は、体のなかでもっとも資源を消費する臓器なので、できるだけ活動を省力化しようとします。

つまり、脳には常に自分の活動をセーブしようとする性質があり、よりわかりやすいもの、あまり考えなくても済むものを求めてしまう傾向があるのです。

「こうすればさみしさから解放されるよ」とシンプルに示されたり、わかりやすくて簡単な理屈や行為のプロセスがあったりすると、それに乗っかってしまいがちにもなります。