(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で時代考証を担当している駿河台大学教授・黒田基樹先生は、「秀吉も一代で天下人に成り上がるほど有能な人物であったとみなされるが、それを支えた秀長も、相当に有能な人物であったことが認識される」と語り、その政治手腕に注目しています。そこで今回は、黒田先生の著書『秀吉を天下人にした男 羽柴秀長 大大名との外交と領国統治』から抜粋し、再編集してお届けします。

北条家・伊達家への取次も

秀長は外様大大名に対して「指南」の役割を果たしてきたが、それはさらに拡大する可能性もあったとみられる。その対象は、相模北条家と奥羽伊達家である。

北条家については、天正16年(1588)8月に、北条家から秀吉に従属を表明する使者が派遣されてきて、それへの接待を秀長がおこなっていた。

北条家からの使者は、北条家当主氏直の叔父にあたる北条氏規で、22日に聚楽第に出仕した。北条家への取次は、家康と、秀吉直臣の富田一白・津田盛月・施薬院全宗らがあたっていた。それらの取次によって、北条家は秀吉への従属を表明してきた。

秀吉は聚楽第で北条氏規を引見し、そこには聖護院道澄以下の参議以上の公家6人、織田信雄以下の公家成大名14〜16人が同席した。当然、秀長も参加していて、信雄・家康に次ぐ位置に座していた。その後、24日に秀長は、北条氏規を屋敷に招いている。これにより秀長は、氏規の接待役を務めていたととらえられる(毛利家文庫「天正記」『毛利史料集』)。