両親のしつけで記憶に残っているのは、小学1年生頃のこと。夕飯の準備のとき、「缶詰を開ける!」と挑戦したものの、缶切りの刃先が進まず、こぼれた汁で服はシミだらけ。ですが、両親は黙って私の奮戦を見守ってくれていたのです。始めたことは途中で投げ出さない、可能性のある限り挑戦するという心構えは、両親の教えの賜物だと思います。

小学生の頃は強くなりたいとも思わず、将棋教室でおじいちゃんたちに可愛がられ、相手をしてもらうだけで満足。実戦ばかりで、定跡(じょうせき)書(基本的な指し方を学ぶ教科書)も読みませんでした。詰将棋はパズルのようで面白かったですね。

それが中学に入った頃から少しずつ欲が出て、父に「もっと実力をつけたい」と願い出ました。するとその日からガラッと教え方が変わり、一度も勝たせてくれなくなって。強いほうが駒の数を減らす駒落ちという方法で、じっくり実力を高めていく毎日が続きました。

教室でも負け知らずになった私は、中学2年で女流アマ名人戦という大きな大会に挑みます。優勝する気まんまんで、取材を受けてもいいようにお気に入りのワンピースで出かけましたが、なんと初戦敗退。天狗の鼻がポキンと折れ、だいぶ落ち込みましたね。

生来の負けん気と、「やっぱり将棋が好きだ」という思いで再び真剣に将棋と向き合った結果、翌年には同じ大会で優勝を決めることができました。

後編につづく

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