海外での挑戦に不安がなかった理由
石川選手は高校2年時にインターハイ、国体、春高バレーの3冠を制し、主将として迎えた3年時にも3冠を果たす。その後、中央大学在学中に日本代表入り。現在はイタリアの強豪・ペルージャで活躍中だ。世界最高峰のリーグ・セリエAで11シーズン目、25年11月には300試合出場を達成した。
――最初にイタリアに渡ったのは大学1年、18歳の時です。セリエAのパッラヴォーロ・モデナから短期契約のオファーをいただき、「行きたいです」と即答しました。でも、僕は当時、セリエAに世界各国からトップ選手が集まっていることも知らなければ、どんな選手がいるのかも知らなくて。単純に、海外でバレーをやってみたいという一心でした。
もしセリエAのレベルの高さを知っていたら尻込みしたと思いますが、無知だったからこその強みというか、不安がまったくなかったんです。
ただ、振り返るとあの頃が一番大変でした。セリエAシーズンの10月から3月までイタリアに渡り、シーズンが終われば帰国して学生に戻る、という生活。その合間に大学の全日本インカレに出場し、日本代表として国際大会にも行く。そしてまたイタリアへ……。かなりハードなスケジュールで、体をケアする時間がなかったので、怪我が多かったですね。
大学の授業の単位は、1、2年でほぼ取っていました。法学部政治学科だったので「将来は弁護士ですか」と聞かれることもあったけれど、僕はバレーに専念したくてこの学科を選んだんです。
政治学科には運動部の部長を務めている教授が多く、学生アスリートにも理解がありましたから。単位が足りなくなると、レポートで代替していただいたり……。その点は本当にありがたかったです。
大学卒業後は、イタリアでプロ選手として生きていこうと決めました。日本のバレーボール選手の多くは企業に所属し、社員選手としてVリーグ(現・SVVリーグ)に出場します。企業に所属すれば毎月給料が出ますし、怪我をした際の保障など、サポート体制も手厚い。でも僕は安定より、自分で責任を負う道を選びました。
セリエAで戦う選手たちは、全員プロ。バレーに人生をかけ、覚悟を決めて取り組み、母国に戻ると五輪の舞台で、全身全霊で戦います。そんな選手たちの姿をモデナで見ていたので、僕も自分の責任で戦うプロとして世界に挑みたいな、と。
日本の企業からは身にあまるような好条件でオファーをいくつもいただきましたが、イタリアでゼロの状態から勝負することにしたんです。
