自分の死について考えても意味がない

では死とは何でしょう。例えば、フライデーと出会う前のロビンソン・クルーソーは無人島でひとりぼっちでした。その彼が生きているか死んでいるかは、私たちにとって無関係のことです。

一方、ロビンソン・クルーソー自身にとっても、彼の生や死は関係ありません。しかし、そこにイヌが一匹いたら違ってきます。

『病気と折り合う芸がいる』(著:養老孟司、中川恵一/エクスナレッジ)

イヌは「今日のエサは誰がくれるんだろう」と思うでしょう。そのとき、死の問題が発生してくるのです。

ところが多くの人は、死は物理的な、客観的な事実だと思い込んでいるので、そのことに気付きません。

どういうことかというと、死は社会的な概念なのです。そのことが世間の常識として定着していないので、死というものがわからなくなってしまうのです。

自分が死んだとき、自分が自分の死について考えることはありません。むしろ死は社会的なものだから、僕は遺族に任せろと言っているのです。

もはや本人はいないし、自分と関係のない人にはまさしく無関係なわけですから、自分の死についてあれこれ考えても仕方ないわけです。