NHK連続テレビ小説『エール』で、窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、名作曲家・古関裕而だ。今週は、出世作となった早稲田大学の応援歌「紺碧の空」を作曲するため苦悩する様子が描かれ、話題となった。『エール』の風俗考証をつとめ、遺族にも取材している刑部芳則さん(日本大学准教授)によると、古関がコロムビアに就職できたのには、山田耕筰(ドラマでは志村けんさんが演じる)の影響があったようでーー
※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです
※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです
コロムビアの専属作曲家になるため上京
昭和5年5月に古関は川俣銀行を退社した。イギリスへの渡航を予定していたからだが、それは夢に終わった。となれば、金子との新婚生活を支えるため、新たな就職先をみつけなければならない。
そこで古関は、譜面をビクターに送ったという。ところが、「まあせいぜい勉強しなさい」と断られた。
その次にコロムビアに送ると、文芸部長・米山正(作曲家・米山正夫の父)がコロムビアの顧問で専属作曲家である山田耕筰に相談した。山田は古関のことを文通で知っていたため、「これは見込みがある」と答えた。
クラシック界の大家である山田の推薦は大きかった。昭和5年の夏、コロムビアの仙台支店の社員が、米山からの手紙を届けに来た。手紙には「話したいからすぐに上京されたし」と書かれていた。
古関夫妻は9月に上京し、阿佐ヶ谷に住む金子の姉富子の家に部屋を借りた。そして10月にコロムビアに行くと、米山から「専属になってくれ」といわれ、その場で契約している。