相次ぐ両親の死に精神状態が再び悪化する
うつ状態から抜け出せない私に代わって、父がミルクを作ったり、おむつを替えてくれたりするようになった。夫でさえしなかったようなことを、戦前生まれの父がここまで熱心にやってくれるとは──。育児に疲れ果てていた私にとっては、本当にありがたかった。
だが、私と父との関係は相変わらずこじれたままだった。意見がぶつかって喧嘩になると、また英彦のことを持ち出してくる。同じ家に住みながらも口をきかない期間が長く続いた。
5年前、両親に立て続けにがんが見つかった。進行が早かった母が先に亡くなり、父も入退院を繰り返した末、後を追うように亡くなった。最後に私が父と会話をしたのは、亡くなる1週間前のことだ。
父の吐血が止まらず、明日また入院するという晩に、「いま口をきかなければ、一生後悔する」と思い、自分から歩み寄った。他愛もない内容だったが、言葉を交わしたことで、これまで吐かれてきた暴言をすべて許せた気がした。
がんの痛みや薬の副作用で苦しんだ末、父は眠るように静かに逝った。葬儀の日、火葬場の炉に父の棺が入っていく瞬間、私の目から自然と涙が溢れた。「お父さん、いままでありがとう」。初めて素直に言うことができた。
両親を相次いで失ったことと更年期の症状が重なって、私の精神状態は再び悪化していった。見えない壁に突然ぶち当たってしまったような感じになり、無力感に襲われる。精神科に通って投薬治療を受けていたのだが、いっこうによくならない。
「うつ治療には鍼がいい」と聞いて藁にもすがる思いで行っても、まったく効果がなかった。不安感から一睡もできない日が増えていき、仕事どころか家事にも支障が出る。勤務先に事情を打ち明け、休職して治療に専念させてもらうことにした。
だが、さらに状況はひどくなり、食欲もなく風呂に入る気力も失い、布団から起き上がることさえできなくなってしまった。当時小学5年生だった娘の面倒もみられず、食事は宅配弁当だけ。それも口にできない私は日に日にやせ衰えていき、わが家を訪れた姉が私を発見したときには、骨と皮だけのような状態だったらしい。
当時の記憶が私にはほとんどないのだが、かろうじて覚えているのは、幻覚症状と、ひたすら死を願う「希死念慮」の症状があったことだ。特に後者の症状は重く、飛行機の音がすれば「このまま自分の上に落ちてきてくれたらいいな」と思い、包丁を見れば「これで首を刺したら死ねる」と思った。
夜中にこっそり家を抜け出し、近くの川へ身を投げようとしたこともあった。川底が見えるほど浅かったのが幸いだった。深ければ、迷いなく飛び込んでいただろう。
あのとき姉が見つけてくれなかったら、私たちはどうなっていたか。緊急搬送されて入院した病院では、担当医師から「これほどひどい状態の患者さんを見たことがない。いつ死んでもおかしくなかったんですよ」と言われた。
私の病名は、うつではなく「統合失調症」だった。病名がわかったことで治療方針も変わり、電気治療と投薬のおかげで、徐々に快復へと向かっていった。