だが、父から「なんでおまえは英彦のことを守ってやらんかったんじゃ!」と言われるたびに、「あのとき、私がかわりに死んでいたら……」といつも考えていた。だが、当時3歳だった私にいったい何ができたというのだろう? 父から投げつけられた暴言は、いまも私の心の中に突き刺さっている。あの日の光景とともに、けっして忘れることはできない。
最近になって、姉に当時の苦しかった思いを打ち明けることができた。姉は私をなぐさめるように、「あの日は、玄関の鍵がたまたま開いとった。いつもお母さんが、英彦が勝手に出ていかんように気をつけとったのにね。あと、仏壇に手なんか合わせん英彦が、その日の朝に限って合わせとった……。もしかしたら、運命だったのかもしれんよ」と言ってくれた。
姉の言葉通りだとすると、弟の運命は生まれたときから決まっていたということになる。仏様は弟の死を早めることを決めて、両親や私に苦しみを与え、気づきをお授けになったのだろうか。弟が生きていたとしたら、いま、49歳。どんなおじさんになっていただろう? 素敵な女性と結婚して、子どもにも恵まれていただろうか。
交通事故で知った母の愛情
高校3年生のとき、今度は自分が死にかける体験をした。卒業式を2週間後に控えたある日の朝、なんとなく「今日は学校へ行きたくないな」と感じた。だがそんな理由で休むわけにはいかないので、いつも通り登校し、授業を受ける。帰り道、私は自転車で下り坂を走り、いつものトンネルを通り抜けようとしていた。
すると、冬なのになぜかふわっと温かい感触に全身が包まれた。見るとトンネルの中はほんのり明るく、見渡す限りお花畑が広がっている。そして、「リーン、リーン」とどこからか鈴の音が聞こえてきた。夢を見ているような思いでトンネルを抜けると、目の前にトラックの車体が迫ってくる──。
目を開けると、ぐしゃぐしゃにつぶれた自転車と、地面に倒れている自分を取り囲む人だかりが見えた。無意識のうちに、「お母さーん! 痛いよー!」と声をめいっぱい張り上げて母を呼んでいた。
次に気づいたときは、病院のベッドの上だった。血相を変えた母が入ってくる。「急いどったから、間違えて逆方向のバスに乗っちゃった。遅くなってごめん」と目に涙を浮かべて言う姿を見たとき、私は生まれて初めて、「母に愛されている」という実感が湧いた。