認知症の母が苦しんでいたものの正体
稲垣 母は専業主婦で、私と姉が独立したあとは父と二人暮らしでした。美味しい料理を作って、オシャレをして、お友だちと旅行に行く、いわゆる“素敵な老後”を思い描いていたでしょう。あるとき、年末に帰省して母とお節料理の買い出しに行ったら、買い物メモを手に母が立ちすくんでいる。しかも同じことを書いたメモが何枚も。明らかに混乱していました。
上野 そこで、「おかしい」と気づかれたのですね。
稲垣 それから間もなく自転車で転倒し、一時は寝込んでしまって、認知症の症状が進みました。言っていることもおかしいし、以前とはまるで別人です。母も自分のことはわかっていたのでしょう。夜、私がそばで寝ていると、言うんです、「私、これから何もできなくなっていくんでしょう。どうやって生きていったらいいのかな」と。
上野 お母さま、頑張り屋で努力家でした?
稲垣 はい、上に向かっていくのは得意なんです。だから、できなくなっていくことが、最後まで母を苦しめていた気がします。病気が進行するにつれて、悲しみとみじめさと、「なぜ?」という思いが強くなっていったんじゃないかと。
上野 お母さま自身が自分を責めて、苦しんでおられた。
稲垣 母は高度成長の時代、私はバブル世代で、母娘ともに上り坂の価値観しかなかった。でも晩年の母を見て、その価値観を変えなければと思いました。やりたいことを諦めず、イキイキと外に開いているのが幸せな老後のイメージでしたけど、そうではなく、やりたいこと、欲を徐々に少なくして、下り坂であっても何とか前向きに下りていきたいなって。
上野 よく言われる幸せな老後のイメージに疑問を感じるのは、私も同じです。ウーマンリブの母、ベティ・フリーダンに『老いの泉』という著書があるのですが、ポジティブに活躍するお年寄りばかりが書かれている。いつまで上り坂を駆け続けなきゃいけないのよって。歳をとって生理的に老いていくと、否応なしに、昔できたことができなくなり、知的な能力も衰える。認知症も出てきます。
稲垣 長生きするということは、いずれ認知症になることだと私は思っています。
上野 お母さまを見て、「自分もいずれは……」と思われた?
稲垣 はい。今もその途上にある自覚があります。(笑)
上野 私もそうですよ、人の名前がすぐに出ない、漢字は書けなくなる。まさに“明日はわが身”です。これまでに大勢のお年寄りを見てきましたが、「こういう人は認知症にならない」とか、いろいろ言うでしょう。手先を使っている人は認知症になりにくい……いいえ、毎日、包丁を使っている主婦もなります。知的好奇心の強い人はなりにくい……私の尊敬する学者もなっています。
稲垣 よく言われる目安はあてにならない、と。私もそれは、母のことで実感しました。