「は?」と言い返すナルシシズム
そんな体で世界を受け止める川口さまの歌にはどのようなものがあるでしょうか。ぜひぜひ覗き見したいところ……ふむふむ。
蝶に針刺す鋭さに第一音鳴らしたり現身をなぞって
長々と和音を伸ばすわが視界の片隅に小指震えていたり
これらはピアノコンサートの歌でございます。華やかな緊張感が伝わってくるお歌でございます。「蝶に針刺す鋭さ」とは、第一音を奏でるのに秀逸な比喩でございますね。「鳴らしたり現身をなぞって」の明るいAの音も響き合い、演奏の初めの華やかさを表しているようでございます。また二首目、「長々と和音を伸ばす」という声に出して読むとわかるもったりした響きがまさに和音のよう。「ブス」を美しい破裂音と理解したように、言葉と響きの両方のセンスを持った歌人と言えましょう。
また異性へのどこかユーモラスな目線もポイントです。
夢ばかり話す男の夢に入りすこしの間地球儀回す
万華鏡覗けばかつて愛したる男うらうら浅草を行く
夢ばっかり語ってる男。そんなことより手を動かせ!やることやれ!と腹を立ててしまうお嬢様方も少なくない中、川口様は一枚上手。その男の夢の中の地球儀を回してしまうと言うのですね。この夢は眠って見ている夢ではなく、男の語る夢の方。その地球儀を回すと、男の夢の物差しがほんの少し、ずれてしまいます。あれ、理屈が合わなくなっちゃった、どんな夢だったっけ、と焦るかもしれない男を楽しんでいる茶目っ気が感じられますね。
また万華鏡の歌も魅力的でございます。あのキラキラした光の反射の中に、「かつて愛したる男」が「うらうら浅草を行く」という。元恋人といえばどこか煮えきれなさや悲しみが付き纏いがちでございますが、非常にさっぱりとしており、その恋人が情緒ある街並みを「うらうら」、つまり行くあてもなく、のんびりと歩いている様子を楽しんでいる気配すらございます。あんな恋もあったなあ、あんな男もいたなあという、懐かしい慕情の気持ちでございましょう。川口さまの世界は体一つ分、ずいぶんいろんなものを持っております。
花びらを川面いっぱい浮かべたる大河のような我を抱けよ
この歌に至っては、自身を「花びらを川面いっぱい浮かべたる大河」といい、「抱けよ」と他者に投げかけます。この比喩は特大級という感じで、ナルシシズムとプライドの美しい形と言えますね。そんな「花びらを川面いっぱい浮かべたる大河」に「ブス」って言ったところで、「は?」と言う気持ち。このナルシシズムもまた、見習いたいものです。
今回ご紹介した歌人
川口慈子(かわぐち・やすこ)
1984年茨城県生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽研究科博士後期課程ピアノ専攻単位取得。「かりんの会」に所属し、2010年第30回かりん賞受賞。2018年に現代短歌新人賞受賞。歌集『世界はこの体一つ分』『Heel』。
