満足とか、リラックスとか、そういう脳にとって心地よいことを探すはずが、どうして俺はわざわざ嫌な記憶を掘り返しているのだろう。
 福来屋七階に位置する家具・インテリア・書店フロアを時生と共に回遊しながら、傑はわずかに顔をしかめた。モダンなレザーチェア、機能重視のステンレスラック、艶のあるラタンのバスケット。一つ一つの商品を目で追う間も、猫の尾の感触が頭をよぎる。
 孫の悲鳴を聞いて台所から客間へすっ飛んできた祖母は、事態を把握するとすばやく鼠の死体をつかみ、怪訝そうに足元にやってきた猫たちの鼻先にそれを近づけて「もらったよ」と一声かけてから裏の畑に捨てに行った。
「ごめんね傑ちゃん。悪気は無かったんだ。ただ、あの子たちにとってはごちそうだから、傑ちゃんにプレゼントしたかったんだと思うよ」
 祖母の言葉に嘘はない。その瞬間はひどく驚いたけれど、猫が人間にいわゆる狩りの獲物を持ってくるのは親しさの表現なのだと説明を受けて以降、頭では納得している。
 ただ、大人になった今も、生き物に対して体がすくむ感覚が抜けない。プライベートな空間に、自分以外の生きた存在と一緒にいてくつろぐことが難しい。不穏で、もろくて、突拍子もない、命という物体にいつまでも慣れない。
 生き物への苦手意識は、いつしか他者への苦手意識にもつながった。傑は恋人ができても同じ寝台で眠ることに苦痛を感じ、関係を長続きさせることができなかった。おそらく自分はどこか過敏で、些細な物事が気になって仕方がない性質をもっているのだろう。
 プライベートをそれほど重視しない分、仕事に注力した。仕事は常に立場さえ定まればとるべき行動がわかりやすく、自分の命も他人の命も意識しない方がうまくいくという点で性に合っていた。励めば励むほど手応えを感じ、面白かった。人生の器を、充分に満たせる予感があった。
 まさか、リラックスだなんて得体の知れない概念が必要になる日が来るとは。