国士舘大学大学院客員教授・八幡和郎先生は、「近代日本において、全国のどこで生まれても地元の各都道府県に名門高校があり、良質な高校教育を受けることができることは国力の源泉となってきた」と語っています。当連載では、そんな八幡先生の著書『日本の名門高校 - あの伝統校から注目の新勢力まで -』から一部を抜粋し、全国の名門高校をご紹介していきます。今回取り上げるのは「洛北高校」です。
洛北高校 府立/共学/中高一貫/京都府京都市左京区
湯川秀樹博士らノーベル賞受賞者、第一号・第二号の母校
京都では、明治2年(1869)、64の小学校が市民主導で開校した。いわゆる「番組小学校」である。「民間に学校を設けて人民を教育せんとするは余輩昔年の宿志なりしに、いま京都にいたりてはじめて其実際をみるを得たるは、其悦あたかも故郷に帰りて知己、朋友に逢ふがごとし」と福澤諭吉を感激させた。
京都御苑内の学習院を淵源とし、明治3年(1870)に開校して京都府中学校となり、のちに洛北高校となった。京都府中学校は、明治9年(1876)に仮中学と改称、明治12年(1879)に京都府中学となったのちに、明治19年(1886)の「一県一尋常中学校令」(第一次中学校令。一府県一校設置の原則)を受けて、同20年には京都府尋常中学校となった。
この頃、大阪の第三高等中学が京都に移転することになったが、京都府では予算不足を生じ、京都府中学の経営を真宗大谷派(東本願寺)に委託することとなった。この大谷派による経営は明治26年(1893)までつづき、京都内に他の府立中学が設立されたことを反映して、明治32年(1899)京都府第一中学校と名称を変え、のちに京都府立第一中学校、大正7年(1918)に京都府立京都第一中学校となった。
昭和4年(1929)、現在の北大路通を走る市電が開通したのに伴い、校舎は下鴨に移った。戦後は、学校統合で現在の鴨沂高校内に同居したり、いったん廃校になったりしたが、昭和25年(1950)、現在地に京都府立洛北高等学校として開校された。
