「おー、頑張ってるな」
「霧さん。俺、メッチャ心配や。なんか失敗しそうな気がする」
「大丈夫。うまくいってるよ。それに、失敗したって経験だ。白鳥酒造次期社長になるためのな」
「くそー、簡単に跡継ぎになるんやなかった」
 半分冗談、半分本気の愚痴を聞き流して蔵を出た。店の表の戸の閂(かんぬき)をはずして鍵を開ける。
「ちょっと出てくる」
 一声掛けて道路へ出ると、むわっと湿った空気が押し寄せてくる。俺は下駄で古い町並みを歩いて行った。
 下駄を履くようになったのは、剣人と瀬良の新婚旅行のお土産にもらったのがきっかけた。ディズニーリゾートで遊んだ帰り、浅草に寄って買ってきてくれた。
 ――おいおい、ディズニーの土産がなんで下駄なんだ。
 ――だって、霧さん、下駄が似合いそうやったから。
 ――あたしも賛成しました。絶対、似合います。霧さんやから桐の下駄なんですよ。
 あんまり二人が得意そうなのでおかしくなった。俺は次の日から下駄で店に出た。ごくシンプルな二本歯の駒下駄だ。桐なので軽い。思ったよりも快適だった。以来、歯が磨り減るたびに新調し、ずっと下駄生活を送っている。
 ぶらぶらと東高野街道を歩く。ここは昔、京都から高野山への参詣道として賑わった道だ。そのまま歩いて石川のほとりまで来た。
 足を止めて遠く東に続く山並みを見やった。山の形がおぼろに霞んで闇に溶けている。その中でもとりわけ高いのが葛城山と金剛山だ。この金剛山の伏流水が富田林に湧き出し、黄金の水と呼ばれた。
 昼間の山際木綿子との会話を思い出している。
 ――不思議ですね。私、下駄ってカランコロンと音が鳴るのだと思ってました。白鳥さんが歩いてもそんな音しませんよね。とても静かで。
 ――ああ、僕も最初は意外でした。普通に歩くとカランコロンとは鳴らないんですよ。でも、こうやって引きずって歩くと……。
 俺はわざとすこしだらしなく歩いた。途端にカラコロ、と音が鳴った。
 ――歩き方でこんなに音が変わるんですね。面白い。
 山際木綿子は静かに驚いて、静かに面白がっていた。彼女は俺の下駄の音を静かだと言ったが、彼女自身もずいぶん静かだ。その静けさは「音がない」というよりは「音をなくしてしまって途方に暮れている」といったふうだ。
 そうだ、あの女は途方に暮れているように見える。だが、その不安定さは決して不快ではない。どちらかというと心地よかった。
 ――まるでヤマトタケルですね。
 気付いてくれたことが嬉しくて、つい調子に乗っていろいろ説明した。話し終わるまでずっと嬉しかった。
 いや、違う。今でも嬉しい。彼女のことを思い出して嬉しくなっている。まるで中学生のように。
 思い切り足を引きずって下駄を鳴らした。
 カランコロン。
 山際木綿子に聞かせるように。