もう百合川以外だれもいなくなった編集部で、ハルは原稿を読み返す。

主人公は秀玲をモデルにした玉玲(ギョックレイ)という台湾人で、その相手は明日美(あすみ)。そのほかの登場人物もすべて仮名で、学校名も変えた。だが、知っている人間が見たらなにをモチーフにしているかわかるだろう。玉玲が日本人である明日美とはちがう処分を受けたという差別もしっかりと書きこんだ。しかし、結末だけは大きく変えた。

ハルの物語では、十年後にダンスホールで女給をしている玉玲のもとに離婚した明日美がたずねてくる。長年の夫の暴力に耐えかねて家を飛びだした明日美は、十年前に乗れなかった汽車に乗ろうと玉玲に伝える。届かなかった手紙は十年越しにやっと届く。

そして、ふたりは夜明け前の汽車に手をつないで乗りこむ。汽車の窓から森のにおいのする風が吹いてきて、亜熱帯の夜がいま明けようとする描写で小説は終わる。現実では離れ離れになったふたりは、物語のなかではともに未来に向かって踏みだすのだ。それは、カフェーダイヤで秀玲に話をきいたときから、ハルの頭のなかにあったイメージでもあった。

 ソファーで横になってうたた寝をしていた百合川にハルはおそるおそる声をかける。

原稿を見てほしいと告げると、百合川は猫のようにのびをしてから原稿を受け取って読みはじめた。