当時の父親の気持ち
私がナガラミを突然食えなくなってから、父に海鮮居酒屋へ連れていかれることはめっきり減りました。たぶん父親は4歳の私がナガラミを食ってる姿がかわいかったんでしょう。4歳って自分ひとりでなんとか飯食えるぐらいの年齢ですよね。そんな子どもが貝のフタと身の間に一生懸命ようじさして引き抜いて食ってる姿を見てるのがおもしろかったのかもしんないなと。
そこに一緒にいることで、じぶんが子育てしてるような気持ちにもなってたんだと思います。冒頭で書いたように子育てをまったくしない人でしたから、うしろめたさみたいなものがちょっとはあったんじゃないか。だから自分が連れていった店のナガラミを、うめーっつってめちゃくちゃ喜んで食ってる私の姿を見て、おれ、父親やってる、みたいな気持ちに浸ってたんじゃないかと思うんです。
居酒屋には父親の仕事仲間がいつもだいたい3人ぐらいいますから、そこに私を連れていけば、おれは父親やってんだぞってのを見せつけられる。どうだ、おれは子どもをこんなに喜ばせてエラいだろう、と。しかも子どもがナガラミを一生懸命引っ張って食ってんのも見て楽しめるし。父親からしたらこの「ナガラミ育児」はコスパがものすごく良かったんでしょうね。私も2人の息子の親になって、やっと当時の父親の気持ちをなんとなく想像できるようになりました。
※本稿は、『没頭飯』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。
『没頭飯』(著:鈴木もぐら/ポプラ社)
飯を語ることは、己を語ること――。
空気階段・鈴木もぐら、「食」を通して自身を語る初の単著。




