「自転車を買ってやる。それに乗っておゆき」
それには杉浦先生も随分力を添えて父を説いて下さったので、父の心もとうとう折れた。
――環、じゃお前はどうしてもやり通す決心があるんだね。
――お父さん。きっとやりとげます。
――そうか、それ程いうんなら仕方があるまい。その代りいっておくが、芝から上野迄、毎日車で通わせる訳には行かんから、自転車を買ってやる。それに乗っておゆき。
私はびっくりしてしまった。それはまるで難題みたいなものだったから。
――どうだ、自転車に乗って通えるかね。
――ええ、やって見るつもりです。
――それからもう一ついって置くことがある。あの藤井善一という男のことだがね、あれはなかなか見込みのある男で、俺は十分買っておるんじゃ。だから、あれをお前の養子ということにきめたから、承知して貰いたい。
――ええ、それは。でも学校の方は。
――無論約束したからには学校へはやってやる。丁度藤井は支那へ五年間赴任しなければならないそうだから、其間はお前は学校へ行っておるがよかろう。とにかく内祝言だけはあげることにするからそのつもりでいなさい。
藤井軍医正は私よりも十二歳年上だったが、どこといって別段非難のしようもない、立派な青年士官だったから、私もこの結婚に対して不服の唱えようがなかったのだ。
それよりも私の心の中は音楽学校へ行かれるという喜びで一杯だった。芝の区役所の庭で、暗くなる迄自転車につかまって毎日毎日練習をしたものだった。その頃女が自転車に乗るものなどは一人も無かったから、それを申しつけた父も突飛なら、学校へ行きたい一心から、その稽古を始めた私も随分変った女に見えたことだろう。十七の年に、私は音楽学校入学を許され、続いて藤井軍医正は内祝言をすませて、別かれを惜しみ乍ら支那へ発って行った。
※読みやすさのため、表記を新字新仮名にしています
※本記事には、今日では不適切とみなされることもある語句が含まれますが、執筆当時の社会情勢や時代背景を鑑み、また著者の表現を尊重して、原文のまま掲出します
※見出しは読みやすさのため、編集部で新たに加えています