「私は今、ある人間につきまとわれています」

が、一方そうした華やかなオペラのプリマドンナとしてデビューし乍ら、例の千明秀作は恰(あたか)もマネージャーの如く私につきまとい、どういうつもりかシンガポールの三浦のところへ手紙を出せというのだ。もう貴方のことは少しも思っていない。貴方と結婚の意思は毛頭ないから、そう思ってくれと書いて出せと強要するのだった。

とにかく動機は何でもあれ、日本の新しい歌劇建設のためには一方ならぬ恩人であるともいえる彼のことではあり、無下にもいい兼ねて、私は毎日のように苦しめられるのであった。

が、何で私は三浦にそんな手紙を書くことが出来よう。あんなに私のために汚名を着、私のことを思いつめて、シンガポールへ行ってくれた三浦は、そんな手紙を読んだら、それこそ死んでしまうかも知れないのだ。

どうしたものかと、とつおいつ思案の末、私は思い切って三浦のところへ手紙を書いた。

私は今、ある人間につきまとわれています。どうぞ直ぐ迎えにいらして下さい。迎えにいらして下さらなければ、私はどうなってしまうか解りません。

私は思いあまってそんなことを書いて三浦に送ったと思う。

だが、事情は三浦の迎(むかえ)を待っていられない程切迫して来てしまった。

劇場に行けば楽屋に、楽屋を出れば、いつの間にか千明の呼んだ車屋が楽屋口に待っている。家にかえれば家について来るという工合(ぐあい)にその男の執拗な手は、身動きのならない迄に、私の身辺にはりめぐらされてあった。

とうとう私は、私の腹心の女中を相手に、シンガポールへの逃亡を決心してしまった。

折角、やり出したオペラの仕事を途中で投げ出すのは惜しくないことはなかった。だが、三浦のところへ行けばなんとかなる。そこから自分は新しく勉強してふみ出そう。小さい日本の土地にいて何になろう。そうだ、自分はここで一つ大きく飛躍すべく神様から機会を與えられたのだろう。丁度ウエルクマイステル先生も父に、私のドイツ行きをすすめて下さっていた。

それは一九一四年、世界大戦の始まる前で、私の長い外国生活は、最初の道をふみ出したのであった。

シンガポールへ、三浦のもとへ、私はかり立てられるうように、しかも人目を忍んでそっと日本を後にしたのであった。

〈3〉「マダム・ミウラ。貴女の声は実に美しい」につづく ※後日配信


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