黒い手から逃れてシンガポールへ
(五)
母にだけ見送られた、淋しい船中だった。シンガポールの三浦(政太郎/2番目の夫)に対して、激しい思慕の情があったというよりも、むしろ今の重苦しい環境を逃れたい、新しい何ものかに対して、飛びついて胸を打(ぶ)っつけて行かねばいられない気持にかりたてられるといった方が適切かも知れない。
新しい世界、幽玄極まりない音楽の世界に対する私のアンビシャスな気持、私は少しの未練もなく、せまい、事々にうるさい日本をすてることの出来たのも、それがあるからこそだった。私の音楽に対する情熱と自負、私は敢ていうけれども、自分の歌に対して絶対的に自負を持っていた。この自負はやがては打ち破られる時が来るのであったが、とにかく自分の芸術に対する自信と情熱は、三浦に対する人間と人間の感情より深くないとは決していえないのだ。そして、ここにすでに三浦との結婚生活の不幸が胚胎していることも、後になって見れば肯(うなづ)けるのである。
しかし乍(なが)ら、三浦も十分私の立場に理解を持ってくれたからこそ、とにかくもこのむつかしい夫婦生活を完(まっと)うすることが出来たのであるが、私としては朝夕夫にかしづく妻となることは、幸か不幸か三浦のためにも最後迄出来なかったのである。
私の初めての船旅は心細かったが、しかし、じりじりと自分をおしつけて行くような千明秀作(ちぎらしゅうさく)の黒い手から逃れたホッとした気易さに、私はのびのびと手足をのばすのだった。
支那海のにごった海も、香港のいかにも外国らしい街の風景もすべては私には幸福に楽しく眺められた。
シンガポールへ近づくと、さすが海の色も、南洋らしく一段と、深い青さに澄んで、三浦のいる三井のゴム園はどんな所であろうと自(おのずか)ら楽しい想像が画(えが)かれたのだった。