「で君は金はあるのか」
シンガポールの港には、一杯ジャンクが浮かんで、船へ迎えに来てくれた三浦の顔も、いかにも南洋に住む人らしく黒く健康そうになっていた。
「やって来たね」
と三浦は温顔に微笑を湛えて、私を迎えてくれた。三浦は一体口数も笑顔も至って少い本統の学者肌というのだろう、時には何を考えているのか解らないというようなこともある位(くらい)、その時も何も私にくわしい話を聞こうとはせず、黙って港を出ると、自動車に乗せて、シンガポールをかなり離れたゴム園の近くの宿舎へ連れて行ってくれた。
「どうだしばらく此処にいて見るかね。」
「ええ。」
「あちらは御父さんも御母さんも御変りないのだろうね。何だかひどく疲れているじゃないか。まあ、ゆっくり身体を休めるんだね」
別段うるさく千明秀作のことを聞こうとする様子もないので、私も来る早々からそれについての細々としたいきさつなどを話す気にもなれないし、ともかく方針のきまるまでシンガポールに腰をすえることになった。けれども私自身の気持では一日も早くドイツへ渡って、本格的の稽古を初めたい思いで一杯だった。
三浦の一高の同級生である廣田弘毅氏〔編集部注:1878-1948 第32代内閣総理大臣〕は、たしか当時は、丁度シンガポールに領事として在留せられていたので、私達は一にも廣田さん、二にも廣田さんで、何から何迄廣田さんの御世話になったのだった。
間もなく、千明秀作が私を追ってシンガポールに来たらしい。それとなく逢う機会をねらっているということを知らせてくれるものがあったので、私は今更心臓の氷(こお)りつくような思いをするのだった。
「いっそこの際早くドイツに行った方がいいと廣田君もいわれるんだが、お前の気持はどうなんだ。」
「私としては、おっしゃる迄もなく一日も早くドイツに行きたいと思ってますわ。でもね、千明のことについては何もくわしいことは御話しませんけど、誤解しないようにして下さいな。」
「ああ、俺もそのことについては、くどいことはいわないつもりだ。で君は金はあるのか。」
「ええ、来る時、叔父に四千円借りて来たんです。」
「そうか。じゃその金で、早速ドイツへ行くことにしようじゃないか」
三浦は三井のゴム園をやめる時には一万円貰える筈になっていたが、そっくりそれは国の三浦の父にやりたいという意向だったので、それもよかろう。赤手空拳、それこそ四千円の金を力に、二人でやれる所迄やって見ようと、私も決心の臍(ほぞ)を固めるのだった。