三浦は私より六つ年上で、今の総理大臣廣田弘毅氏とは一高の同級生だった。三浦の手紙は実に厭世的なもので、貴女のことを考え乍ら、自分の身も魂も遠い海の中へ消えて行くなどといった、今にも死ぬような手紙をよこされて驚いたりしたこともある。
が、私は別れても、なかなか藤井のことは忘れられなかった。藤井も同じ思いであるらしく、別れて間もなく、九段の靖国神社の前迄来てくれという手紙をよこした。
逢おうか逢うまいかと、散々考えた末、矢張引づられるように、母にはユンケル先生の所に行ってくるからと偽って、出かけて行った。
丁度雨がしとしと降っている晩で、藤井に逢うと、俺について来いという。黙って後にしたがって行くと、一軒の小さな粋な作りの家に連れて行かれた。それが待合というものだということは、中に入ってから解ったのだったが、座につくと、藤井もしめり勝ちに逢いたかったといった。
――でもこんなことをしてはよくないわね。
――うむ、環、俺も近々女房を貰うことになったよ。
――まあ、でも結構じゃないの。
――結構だと思うかい? とにかくこんな真似はできないが、矢張お前のことは忘れられないんだよ。それに解ってくれるだろう。嫌いで別れたんじゃないからね。
――そうよ。私だって同じことだわ。貴方には音楽家の奥様は駄目なのよ。だから思い切って別れた方がよかったわ。
――お前はどうしたって女房というタチじゃないね、友達としては実際お前以上のものはないよ。おい、泣いているのかい。
――だって、そんなことをいって悲しくなるわ。私が音楽なんかしないで何でもない女だったらね、そう思って……。
――そりゃ今更いっても仕方がない、だからこれからは友達になろうじゃないか。恋人になろう。それならいいだろう。
私はいいとも悪いとも答えられはしなかった。只矢鱈(やたら)に悲しくなって、二人で泣いたのを覚えてる。が、これがとうとう音楽学校をやめてしまわなければならない端緒となった。