死んでもできる親孝行とは

母は私に手紙を遺した。

「これはお姉ちゃんにだって、お母さんが」
と弟が渡してくれた。

この手紙はまだ読まずにいる。いろいろ考えた。なぜ私は読めないのか。

もしかしたら、生前何度か母からもらった「評価」の書いてある通知表のような手紙だったら、過去のトラウマが蘇るかなぁと思ったりした。

少し経つと、通知表だったとしてもトラウマにならない自信がついた。時間が経つにつれ、母への過去の憎しみが消えていくからだ。

ならば読めるか? というと――。

もし中身が私が想像する以上の母の愛情が詰まっていたら、私は反省と後悔でしばらく立ち上がれないのではないかと思って、やはり読めない。

少し経つと、「母の愛情が溢れていたとしても、私もだいぶ母への愛情が湧いてきたから平気だ」と思えるようになった。

ならば読もうか、と思ったとき。これが、最新なのだが――。

もし中身が母からの私に対する後悔と謝罪だった場合、私は母の傷をもらって、私も傷つくだろうと思う。それでも良いのだが、あの世で、もしかしたら、渡さなきゃよかった、と母が思っているのではなかろうか、と思うと、この手紙は読まずにお焚き上げでもしてもらったほうがいいんじゃなかろうか、と考える令和2年の6月の夜。

手紙なんてものは、早々に読まないと、こじらせるんだなぁと実感。

振り返れば30年以上、母を憎んできた。長かった。悪かった。なにしろ疲れた。

「死んでもできる親孝行」実行中。

一番の親孝行は、子どもが愛されて楽しく生きることだと教わった。今日も自分を大切にしてみよう。ずいぶん自分を傷つけてきた。47歳。これからです。

青木さんの連載「48歳、おんな、今日のところは「●●」として」一覧

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