(’写真提供:青木さやかさん)

 

仲直り大作戦、開始

母が間もなく死ぬとなり、心がザワザワした。どうしたい? 私、どうなりたい?

その時NPO活動を通して知り合った50代のファンキーなおじさん武司さんに言われた

「親と仲良くしたほうがいい、自分がラクになれるよ」「そうかも知れないけど難しいんですよ。頭で理解できても心と体がついていかないんですよね~」「大丈夫、できるから」「できる気しないな~」「親と仲良くするって考えてすることじゃないじゃないから、普通のことだから」「きっと、そうなんですよねえ」

本連載がまとまった青木さやかさんの著書『母』

そんな会話に後押しされて仲直り大作戦が始まった。

毎週、母がいるホスピスを訪ねるため、愛知県へ通った。自動車を運転し、用賀インターから三好インターまで。1人きりの5時間弱の車内は気合いを入れる私の大切な個室で、大好きなマイケルジャクソンを大音量でかけるが、ほとんど耳に入ってこなかった。その道のりは過去を背負っているようで重たかった。

ホスピスの舗装されていない砂利の駐車場につくと、「帰りたい〜」がおそってきそうになるのを、「ここまで来といてなに言ってんのよ〜」と1人で声に出してみたりして。えいや! とホスピスに入り、えいや! と2階へ上がり、ナースセンターにお土産を渡して一番奥の母の部屋へいく。

母は私をみると

「遅かったねえ、心配したがね」と言った。

卓上カレンダーの今日のところに○がつけてあって、「さやか14時」と書いてある。今は15時をまわっていた。

「遠くから大変でしょう、もう来なくていいわ」と言いながら母は喜んでいた。私は、この人、私が憎くて、価値観を押し付けたんじゃなかったのか、と心で理解ができた。だんだんと弱っていく母の手をさすると、母は嬉しそうにした。

私はある時「今までごめんね」と言ってみた。それは半分ウソだった。母は「何言っとるの、さやかはいい子だったでしょう」と言った。それもウソだと思ったけど、私たちはいい別れ方をしたい、と思い合っているのだと思った。

そんなふうに最期に思わせてあげたい、という母の気持ちに、油断すると感情が崩壊しそうになって、それが子に対する母の気持ちだというものだとしたら、私は子が母を思う気持ちを、行くたびに渡そうと、それはそれは全力を傾けてみた。これが私の大作戦。47年の人生で今のところ一番頑張った出来事だと思う。