私は生来がさつで、何をするにも細かさが足りないと、よく母から注意を受けたものだ。それなのに、母に介護が必要になった時に気を付けようとも思わず、世話をする時も「面倒だ、自分の時間をうばわれる」という感情ばかりに支配されていたように思う。
私は、母が今までどれだけの愛と労力を私に捧げてきたかを思い返し、心を新たにした。食事作り、おむつ替え、入浴、マッサージ、すべて心を込めて丁寧に行う。母親が赤ん坊に離乳食を作るように、沐浴させるように。愛が加わると、面倒でしかなかった介護は学びの場に変わった。
退院1ヵ月ほどで、母は少しずつ足を上げられるようになり、おむつ替えも従来通りに。母の気持ちも明るくなったようで食欲も増し、体調の良い時は2人で私の子どもの頃の思い出話をしたり昔歌っていた童謡や唱歌を歌ったりもした。
以前は、リウマチの絶え間ない痛みから、たびたび「死にたい」と訴えていた母。「今でも死にたい?」と問うと、「死にたくない」と力強く答える。
90歳を過ぎて私の不注意から心身ともにつらい思いをさせてしまった母には、詫びる言葉もない。だが良いこともあったと言える。
それは私の母への愛と、母の生きたいという意欲が復活したこと。不思議なことに、愛は伝播するのだ。そして母は今も、生きようと努力を続けている。