幸せな初舞台を迎えて
豊竹咲太夫師の父は、戦後の文楽に偉大な足跡を残した八代目綱太夫師。初代白鸚(八代目松本幸四郎)の強い要望に応えて、『嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)』の「日向嶋の場」に出演し、文楽と歌舞伎の共演を果たした。
――そうですね。その「日向嶋」を中村屋(十七代目中村勘三郎)さんが観にいらしてて、すぐ楽屋に駆け込んで来て、「おじさん(八代目綱太夫)、僕にもやってよ」と。それが『義経千本桜』「四ノ切」の狐忠信での文楽との共演につながるわけです。
うちの咲太夫師匠は十八代目中村勘三郎さんや、今の八代目尾上菊五郎さんと深い交流がありましたからね。そのお二人とも「四ノ切」で共演しています。
八代目さんと僕とは義太夫で繋がる親しい仲で、義兄弟なんです。『松王丸』や『政岡』、『俊寛』や『合邦』の玉手、最近では『加賀見山』のお初とか、三時間ずつ何日間か稽古して。去年は月に三日くらいはお会いしてました。
それで、僕の初舞台の話でした。幸せな初舞台。というのは、豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)から師匠の咲太夫に伝わった見台――銘が「銕面皮(てつめんぴ)」というんですが――これを師匠が私にくださったんです。
実は師匠の初舞台もこの見台でした。いい見台には銘が付いているんですけど、これは「烏滸がましくも」という意味らしいですね。この少し小さめの見台はこの初舞台の時しか使ってません。