インターネットが育んだ才能がJ−POPのメインストリームへ
米津は1991年、徳島県生まれ。音楽活動を始めた拠点はインターネットだった。中学や高校時代に憧れていたのはBUMP OF CHICKENやRADWIMPSなどのロックバンドだった。中学に入学するとギターを手にし、友人を誘ってバンドを結成した。高校を卒業し専門学校に入学してからも曲を作り続けていたが、バンドはなかなか上手くいかない。そんな最中に出会ったのが初音ミクだった。
2009年、彼は「ハチ」を名乗り、初音ミクを使ったオリジナル楽曲をニコニコ動画に投稿する。楽曲の人気は瞬く間に広まり、その名は当時のボーカロイドシーンに一気に知れ渡った。無名のクリエイターが創作の輪を広げていた00年代後半のボーカロイドシーンを、米津は自分の“故郷”だと語っている。
「そこは新しく生まれた遊び場で、別に将来のことも考えず、みんなでただひたすら無邪気にやってるだけの空間だった。混沌としていて、刺激的で、すごく魅力的だったんですね。そこで得たものは計り知れないし、実際に自分の音楽のキャリアはそこで始まっている。稀有な土壌だったと思います」(『Yahoo!ニュース特集』インタビュー、2017年10月30日掲載)
2020年代に入ると、YOASOBIやAdoなどボーカロイドカルチャーの中で育ったクリエイターや歌い手がJ−POPの第一線で活躍するようになる。米津玄師のブレイクは、インターネットが育んだ才能が国民的なポップスターになったという意味でも、音楽シーンの主役交代の象徴になった。
※本稿は、『ヒットの復権』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『ヒットの復権』(著:柴那典/中央公論新社)
なぜ、いま日本の音楽が世界に届くようになったのか?
その背景には、2020年代になって生まれた新たな「ヒットの力学」がありました。
本書はその構造的な変化を、2016年からの10年間を辿りながら解き明かします。




