右から、伊藤久男、古関裕而(写真提供:古関正裕さん)

古関とのコンビでの最初の流行歌「城ヶ島の灯」は、伊藤ではなく宮本一夫の変名で、大衆盤のリーガルレコードからの発売であった。歌手近江俊郎によれば、リーガル盤は二流歌手とのレッテルを貼られ、コロムビア盤の一流歌手たちと比べて馬鹿にされたという。伊藤の場合は、コロムビア盤でも吹き込むことができたが、松平や中野忠晴のようなヒット曲を持っていないため、肩身の狭い思いをしたに違いない。

伊藤の長所は豪快な歌唱法である。古関もその点を生かす機会を待っていた。それが昭和11年7月に発売された「嵐を衝(つ)いて」だろう。

嵐のなかを馬車が行く設定であり、「馬車は荒れ野の果てをゆく」という歌詞内容と重なる早いテンポ感と、伊藤が「嵐、嵐、嵐を衝いて……」と豪快に歌うところが魅力的である。

しかし、結果は無残に終わった。伊藤はヒット曲に恵まれなかったから、当時は古関よりも苦しかったと思われる。両者がコンビで活躍するのは、日中戦争の勃発を待たなければならない。

実際、戦中は豪快な歌唱法と、クラシック音楽の要素が求められたため、伊藤に適していた。古関裕而の戦中の大ヒット作「露営の歌」や「暁に祈る」を力強く歌い上げ、頭角をあらわしていく。

さらに戦後も、高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」や「イヨマンテの夜」といった名曲で二人のコンビは続いていくのである。

一番右が古関裕而、その隣が妻の金子。一番左が伊藤久男。昭和12年、来朝した指揮者フェリックス・ワインガルトナー氏を囲んで(写真提供:古関正裕さん)

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