すぐそこにある孤独死
1970年代にはすでに高齢者の孤独死問題に関する記録が残されている(全国市社会福祉協議会、全国民生児童委員協議会「孤独死老人追跡調査報告書」1974年)。その背景には、戦後の急速な都市化にともなう世帯規模の縮小と血縁・地縁による互助機能の衰退があった。ただし、当時の高齢化率は1割に満たず、単独世帯の多くが若年層であり、ゆえにその現象は特定の階層の特殊な事情として扱われるにとどまった。
そこから四半世紀、阪神淡路大震災後の仮設住宅や復興公営住宅で孤独死が多発したことを受け、日本社会は改めて「独りで死ぬ」ことの恐怖と対峙することとなる。仮設住宅での孤独死は233人、復興公営住宅でのそれを合わせると、確認されているだけでも1000人をゆうに超える。
コミュニティを軽視した復興政策のあり方が災害弱者の社会的孤立を助長し、そして死に追いやる。この一連の事象は、住宅や街の復興だけでは人間の心は回復せず、つながりやケアを併せて手当てすることの重要性を裏づける大きな契機となった。
医師として被災者の孤独死と対峙した額田勲は、孤独死という用語の流布を「震災直後、肉親、住居などなにもかも喪失して、厳しい逆境を強いられた被災者が“孤立”の果てに死んでいくことへの追悼の言葉として、孤独死は言い切れぬ適切な響きを持ったといえよう。そのためなんら定義もなされぬまま“孤独死”という情緒的な言葉が独り歩きしていった」と説明している(額田 1999)。