支えになった母の存在
闘病中支えになったのは、母の存在でした。母はとにかく明るくて、こっちは声を出すだけでお腹が痛いのに、平気で笑わせてくるんです。「やめて、本当に痛いから」と言いながらも、そのやりとりにどれだけ救われたかわかりません。
母は「いろんな痛みを知ることで、もっと人に優しくなれるし、歌や言葉で何かを伝えるときにこの経験がプラスになる」と言い続けてくれていました。
私の兄が18年前に39歳で亡くなっていたこともあり、もし私が先にいなくなって母を残すことになったら、どれだけ親不孝だろうと考えていました。
7歳上の兄は先天性脳性麻痺の影響で、知的障害がありました。でも私の学校行事やカラオケ大会など、どこに行くにもいつも母と兄と3人で行動していたので、家族3人の絆はとても強かったですね。
兄は私のことを誰よりも応援してくれていましたが、デビューから9年後の2002年、私は「燃え尽き症候群」になり、歌手活動を休止してしまったんです。
4年半ほどアルバイト生活を送っていましたが、兄はなぜ私が歌わなくなったのか理解できず、暴れることもありました。兄は私がテレビやラジオに出るたび、養護学校の先生や友達に「妹が出るので見てください」なんて電話してくれていたんですよね。それができなくなったことで、感情のコントロールが難しくなって。だからもう一度兄の笑顔を見たいと思ったことが復帰のきっかけでした。でもそれから数年で兄は他界してしまって……。
亡くなったのは突然だったので、母のショックも大きくて。初めて泣き崩れる母の姿を見ました。その後もしばらくは、母は兄のお骨を抱いて過ごすような日々が続いて。当時はお金もなくて、お墓も買えなかったんです。明るくて友人も多い母でしたが、その頃は外出もせず、口数も減っていました。
それからは兄のお墓を買ってあげることを目標に、必死で働きました。1年半後、少しずつ貯めたお金で兄のお墓を建て、納骨してからは、母も少しずつ気持ちが変わっていったようで、徐々に元の明るさを取り戻していきました。