フェリスで磨かれた英語力
陸軍の軍人となった鈴木良光は、九州の不平士族たちが起こした西南戦争を鎮めるため、一隊の隊長として出征。勲章を受けるほどの活躍をしますが、激戦地の田原坂で銃撃され、太ももに大けがをしました。
この頃、10代後半になっていた雅は、「フェリス・セミナリー(いまのフェリス女学院)」で学び、英語力を磨いていました。この英語力が、日本の近代看護の確立に寄与したと言っても過言ではありません。
雅はこの先、看護教育のために来日したアグネス・ヴェッチの通訳を公私にわたって担うのです。
雅の孫の鈴木康夫さんが遺した手記『次代への申し送り』には、「フェリスで覚えた英語を役立て、その頃多かった外国人医師の通訳として活躍した。時代の先端を行く彼女は、洋服を着てかの有名な鹿鳴館にも通ったそうである」という記述があります。