短いながらも幸せだった結婚生活
フェリスを卒業して間もなく、雅は鈴木良光と結婚します。結婚生活は5年と短いながらも、とても幸せだったようです。
2人は良光の勤務地があった京都で新婚生活を送りました。その後、転勤で東京、仙台へと移り、この間に娘「美津(拙著では「みつ」と表記)」と息子「良一」をもうけました。
しかし、良光は仙台の陸軍病院で亡くなります。康夫さんの手記には、「(西南戦争時に)太ももに受けた鉛の弾が因」とあるので、鉛毒によるものと考えられます。
雅は、幼い2人の子どもを抱えて、シングルマザーとなります。このとき25歳。幸い、良光の遺産や恩給があったので、経済的に窮することはありませんでした。この点、ほとんど衝動的ともいえる離婚をし、経済的自立を模索していた大関和とは状況が異なります。
それでも雅が看護婦(今の看護師)になろうとしたのは、良光の看取りに後悔が残ったからだと言われています。そして、その説を裏付けるようなお話をご親族の方々からうかがいました。
雅は第一線を退いたあと、60代で東京から京都へと転居するのですが、その理由は、良光と新婚生活を送った京都が好きだったからとのことです。
良光の死から40年を経ても、思い出の地で暮らしたいと考えるほど、雅は良光のことを思っていたのでしょう。良光の看取りが看護の道へ進むきっかけとなったという説におおいに納得しました。
妾の存在に悩み、当時としては珍しく妻側からの離婚を果たした大関和は、夫への未練はなかったでしょうから、この点でも雅と和の状況は異なります。