夫の遺産をつぎ込んで派出看護婦会を設立

まったく違う道を歩んできた鈴木雅と大関和は、1887(明治20)年に、2人とも28歳で桜井女学校(いまの女子学院)の附属の看護婦養成所に第1期生として入学し、トレインド・ナースとなります。

そこまでの2人の歩みと、そこから先、近代看護の黎明期を駆け抜けた2人の軌跡を描いたのが、『明治のナイチンゲール 大関和物語』です。

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(著:田中ひかる/中央公論新社)書影
『明治のナイチンゲール 大関和物語』(著:田中ひかる/中央公論新社)

鈴木雅の看護婦としての功績は多々ありますが、中でも特筆すべきは、日本で最初に派出看護婦会を設立し、看護婦を派遣するシステムを確立したことです。

派出看護婦会を設立するにあたり、良光の遺産をほとんどつぎ込んだと言いますから、その本気度がうかがえます。しかし雅は、人生を懸けたといってもよい派出看護婦会を和にゆずり、43歳で引退してしまいます。

集合写真(看護婦養成所修了時。雅は前列左から2人目(医療法人知命堂病院提供))
看護婦養成所修了時。雅は前列左から2人目(医療法人知命堂病院提供)