桜の波乱万丈な物語
桜が日本の文献に初めて登場するのは、8世紀に編纂された『日本書紀』です。履中天皇が舟遊びをしていた際、盃に桜の花びらがひらりと舞い落ちた、という美しい情景が記録されています。桜はただの植物ではなく、風流の象徴として扱われていたのですね。
とはいえ、当時の主役はまだ桜ではありませんでした。奈良時代の和歌集『万葉集』に収録された歌の数を見ると、梅に関するものが118首に対して、桜はわずか40首ほど。桜はまだ“準主役”のポジションに甘んじていたようです。
ところが、平安時代に入ると、両者の立場が逆転します。『古今和歌集』では一気に桜の歌が増え、梅を上回る存在感を放つようになります。仁明天皇はとくに桜を愛したことで知られ、宮中では「桜の宴」がたびたび催されました。この時代から「花といえば桜」という感覚が人々の中に根づいていったのです。
その後の『源氏物語』でも、桜は美の象徴としてしばしば登場します。
平安貴族の時代を経て、武士の時代が幕を開けると、桜はその存在感を一層強めていきました。とくに鎌倉時代以降、桜は「散ること」の象徴として評価されるようになります。「花は桜木、人は武士」という有名な言葉が残されているように、潔く咲いて潔く散るその姿が、死を恐れず戦に臨む武士の美学と重ねられていったのです。
時代が江戸に入ると、桜は一転して「庶民の娯楽」の花になります。それまで桜を楽しんでいたのは、もっぱら貴族や武士階級でした。しかし江戸の町では、芝居見物、花火、そして花見が三大レジャーに数えられ、桜文化は一気に庶民レベルで広がっていきました。
この時代には品種改良も盛んに行われ、実に250種類以上の桜が存在したといいます。まさに桜の黄金期です。花を見て一杯やるというスタイルが、日本中に定着していきました。
